《3日目:昭和50年3月20日 石北本線》


 雪の中で蒸機を撮れるのはこのシーズンが最後とされていた。この時期に津軽海峡を渡り北海道にやってきたファンのほとんどが常紋を訪ねた
ことと思う。手軽に雪のD51を撮れる場所だったから。「大雪5号」が生田原に着いた。まずここで朝の1枚。
   
 生田原

 いよいよ雪の常紋だ。信号場に降り立ち、金華方へ歩き出す。今回は坂を下っていく人が多い。積雪は線路端は40〜50センチ位ありそうだが路
盤にはないので歩きやすい。保線小屋のそばに場所を決める。線路はカーブしながらずっと下っている。日差しがあり無風、冷え冷えとした空気
の中、遠くからドラフトが響いてきた。カマは444号機。手ごたえは充分だ。
   
 常紋−金華

 次の列車は下り。みんなで山を越えてトンネルの向こうへ行く。先駆者のつけた道がしっかり残っていて雪にもぐることはない。ここしばらく
雪は降っていないようだ。Sカーブを見下ろす斜面に陣取る。天気も回復してきた。暖かな日差しが春の近いことを知らせてくれる。こんな中で
列車を待つのは楽しい。少し風が出てきた。生田原からD51が登ってくる。夢中でシャッターを切る。
   
 常紋−生田原

 場所を決めたのなら2〜3本まとめて撮れればいいのだがダイヤの関係でそうはいかない。今度は上り列車だから信号場に戻る。
ところで常紋トンネル、である。うわさでは信号場で頼むと照明を点けてくれるということだったがどうだったのだろうか?
仮にそんなことであってもあのトンネルを歩く気にはならなかったと思うが。
 信号場に戻ってくる頃になって風が出てきた。今回のツアーではここまで雪に降られることがなかった。そろそろ降ってくるのか?
頑張って朝写したポイントまでまた歩いていく。相変わらず風があるがしょうがない。

 上りがもう1本あるが構内に戻る。でないと乗りたい上り列車に遅れそうだから。
有名な場所なので構内も雪が踏み固められている。50ミリを付けて目の前を上がってくるところをねらう。D51は吐き出す煙を風に煽られながら
ゆっくりと登ってきた。煙がきれいになびかず、周囲のファンも無念の表情。
   
 常 紋

 一日の撮影を終え、後片付け。もうすぐディーゼルが来る。実はその後に下りのD51牽引の列車がある。それも写せればよいのだが信号場に戻
って移動するためには19時過ぎの列車しかない。まだ日暮れの早い季節、しかも冬と同じような気候だからそれは断念する。それでもトンネルの
山を越えていくファンがいる。すごい人だ。
 ところで遠軽まで行ったあと、上りの「大雪5号」に乗ることにしている。当然ながら座りたい。時刻表の編成を見ると遠軽で2両増結するこ
とにはなっている。ただし列車によっては季節限定だったり実際にはなかったりはっきりしないことが多い。これが気になっていたので常紋での
撮影時に回りの人に聞いてみたところ今はつかない、ということだった。そんなに混まないから座れるのでは?と一言添えてくれたが。
それと明日の予定である。本来であれば道央まで戻り幌内線へ行こうと思っていたのだが、常紋での上りの最後の1本に悔いが残っていた。
それで同行者と話し合い、わがままを通させてもらった。「大雪」が入線してきた。いくらか空席があり何とか座れた。
 夜行に乗ったはいいが、翌日も常紋となれば上下の「大雪5号」を乗り継がねばならない。実は当時から「上川折り返し」が雑誌に載っていた位
に有名だった。じゃあ、そうしようかとなるがあくまでそれは列車がダイヤ通り動いているという前提つきである。雪が降れば定時で動くかわから
ない。下りに乗れなければ貴重な一日のスケジュールが滅茶苦茶になってしまう。それを考えるとさらに安全策を取るべきではないか?とすれば上
川の手前、白滝で折り返すのがいい。そう決めてしばしの眠りにつく。一応日記上の「今日」はここで終わり。



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