海なり

 昼前、酒田の街中に汽笛が響き渡った。C11が港駅に向けて出発したのだろう。

 今回は久しぶりに指折り数えてその日を待つ。子供に戻ったような。
陸西にC11が走る、という話は前から聞いていたが、それも旧客編成となれば楽しみが増す。それよりも、何よりも31年ぶりにふるさと
で汽笛が聞けるとは夢のよう。
小さい頃から酒田で機関車に親しんできたが、引越しのために電化が間近に迫った羽越本線の蒸機の最期を見届けることができなかっ
た。夏休みに遊びに来て、淡い煙を吐きながら新井田川に架かる鉄橋を渡るD51を眺めたのが最後になった。ふるさとの蒸機の印象は
強いものがあった。
 蒸機がなくなってから何年かに一度、決まって同じ夢を見た。夕暮れに酒田駅を出た上り列車が浜田跨線橋をくぐり、生家の近くの
踏切にやってくる場面だった。「なくなったはずだ。」「いや、まだ走っている。」夢の中でそんなやりとりがあった。
各地で蒸機が復活してからはそんな夢を見ることもなくなった。


 その日、新庄盆地は深い霧に包まれていた。早朝の町は静か。早速ロケハンを始める。
線路は緩く下りながら西へ向かっている。升形の駅舎は新築したばかり。交換設備が撤去され、草に覆われている。
ちょうど下りのディーゼルが着いた。乗り降りなし。日常こうなのだろうか?

 前波に近づくと小山を煉瓦のトンネルで抜ける。勾配はあるが緩い。周囲の雰囲気は好ましいが。その先は岩清水集落。それを抜け
るとカーブして鮭川の橋だ。ここでクルマを止め、一休み。
 のどかな風景が広がっていた。新庄盆地の西端にあたるのだろうか、黄色味がかった田んぼが広がっている。ここでやろう。大きな
ヤマ場ではないが、誰もいないから。
コンビニで買ったパンとジュースで朝食。しばらく周囲を歩き回り、クルマに戻って仮眠。
 9時過ぎ、汽笛が鳴る。新庄を出て二駅目だからすぐにやって来るだろう。岩清水トンネルを抜けるとブラストと汽笛が急に大きく
なった。煙はないが現役時代を思わせる情景だ。
 古口と清川の停車時間が長いので楽に追い越せる。最上峡沿いを走っているうちにすっかり青空になった。これから楽しみだ。
狩川を過ぎると右手に鳥海山が浮かび上がった。山頂まできれい。少しは日頃の行いがよかったのだろう。南野と余目の間、山バック
の構図に決めた。

 ただ風が強い。最上川に沿って庄内平野に吹き込んでくる。これが「清川だし」だろうか?狩川の風車もくるくる回っている。
ここは昨年お召し列車を撮影した場所にほど近い。あの時は線路端の草が刈られていたから良かったが、今回はススキが生えている。
足回りが隠れないような場所を選んでしばし待つ。さすがに有名な場所なのか2〜30人集まった。
南野通過は無煙。しょうがないなと思いつつ2カット写す。
7号線まで出ずに余目から右折して酒田に向かう。「庄内こばえちゃライン」という広域農道。いい名前だなあ。


 次は酒田港。懐かしい街の中、クルマを走らせながら港を目指す。道に迷ったりしながら港駅に着いた。
線路が数本、小さなヤードになっている。すぐそばではコンテナが山積み。臨港線のムードとして最高だ。ギャラリーはファンよりも
家族連れがずっと多い。すぐ上にある日和山公園の駐車場も一杯。
 やがて、更新色のDE10 1673〔東新〕に牽かれた列車が姿を現した。歓声に包まれて入線。一斉にシャッターが切られる。DE10は
見事に無視され、ちょっと気の毒。先頭から開放されると知らない間にいなくなった。
C11の周囲には人垣が出来ているが、旧型客車も人気がある。久しぶりに乗ってみると懐かしいにおいがした。天井の扇風機やモケット
のついた椅子など当時のままだ。窓から港が望める。



線路に下りるのが黙認されていたので列車の周りを一回りしながらスナップを楽しんだ。公園の駐車場に行って見ると海がキラキラ。
海風に吹かれての撮影が心地よい。そういえば現役時代の酒田港線もC11だったから里帰り、ということになる。それほど大きくない
ヤードにはタンク機関車がよく似合う。



 それはそうと港の駅に旅客列車が横付けになる、なんてこの国では珍しい情景だ。外国では客船からの乗り継ぎで港の駅での発着が
あるが日本では見られない。臨港線で客車を見られたことは貴重な経験だ。
線路の海側から日和山の灯台が見えた。有名な木造の灯台で、もともとは明治22年に建てられたものだ。列車との組み合わせも渋く、
しっかりと添景になってもらう。そういえば灯台を入れた鉄道の写真は見たことないが。
 楽しい2時間はあっという間に過ぎて、列車が酒田駅に帰る時が近づいた。機関車のチェックが始まる。ふと気がつくと、このイベ
ントは各社のジョイントなのである。運転は真岡鉄道、主催はJR東日本だがこの場所は貨物会社だ。それに列車の誘導には通運会社
?の社員も動員されている。せっかくなのだからオレンジカードの販売などもっとあってもいいのに、と思ったが他社の敷地内で商売
をするのは難しいのかも知れない。
 DE10が迎えに来て貨物ホームに据え付けられていた列車の入換が行われ、出発線に移された。到着時と同じようにシャッターが切
られる。そして港一帯に響く長い汽笛を鳴らし、建物の陰に姿を消した。楽しい楽しいひとときだった。


 有名な食堂でラーメンを食べてから酒田駅に行ってみる。駅東側の踏切のところから駐車場に入れる。警備員がいるということは、
今日はこの辺までは立ち入りが許されているようだ。
目の前に転車台がある。塗装が少しはげていたり水が溜まっていて最近動いた形跡はない。近くにDE15らしき除雪車が留置されてい
る。両頭型だから転車台を使うこともないのだろう。ただ、それがあるということはこの広い駐車場は扇形庫の跡地であることを物語
っている。ずっとずっと前、3つか4つの頃、父の自転車に乗せられて、線路をはさんだ反対側から機関車を眺めている自分がいたわ
けでそれと同じ場所に立っているとは何とも不思議な感じ。
実は電化された翌年の夏、幼なじみと機関区を訪ねたことがある。廃車でもいいからD51を写しておきたかったのだ。もしかして、と
期待したのだが扇形庫は空虚で風が吹いているだけだった。もう少し電化が遅ければ、と悔やんだ。それからしばらくはクラが残って
いたはずだが。
ちょっと先に検修庫があってC11が煙を上げている。少ししてEF81が入庫して並んだ。写したいがさすがに立入禁止らしい。
ひとしきりC11を眺めてから機関区跡を後にする。
 途中、小学校に立ち寄る。5年生まで通った学校で、ここも汽車の思い出がある。校庭から新井田川の橋を渡る列車が見える。一番
印象的だったのは朝9時前に通る特急だった。朝日に青く光る窓、流線型のクーラーキセなど少年にはまぶしい列車。あれはキハ80系
の「白鳥」だったのだろうか。
この小学校、建物は当時のままで懐かしい。といっても敷地の中に新校舎が建てられているからもう少しで姿を消すのだろう。記念に
何枚か写す。
 さて、上り列車だが今日は変更ダイヤ。余目発車が日没時刻になる。羽越線沿いに砂越まで行ってから庄内こばえちゃラインを戻る。
着いたらまだ時間は十分にある。駅の近くで仮眠。
余目の駅員殿は親切だ。試運転だというのに「SLもがみ号は酒田を定時に発車しました。」とアナウンスしている。早速140円を払って
入場。少しずつ人が集まってきた。ここも親子連れが多い。


前照灯が近づいてきて列車がホームに入ってきた。バック運転である。シューシューとコンプレッサから蒸気を上げ、跨線橋のところで
停車。淡い夕陽に照らされる。手入れが行き届いた車体がオレンジ色になる。
 発車を見送って国道47号を東へ。オーバークロスで羽越線を越える。このあたりで電車を撮ってもいい絵になりそうだ。
古口でバルブをしようと思っていたが、清川の手前で前方に白煙が見える。追いついてしまったようだ。残照の中の機関車を写したく
なって駅前にクルマを止める。
立谷沢川の橋のあたりに人が集まっているのを横目に古口へ。
 バルブはいいのだが光量が心配。陸東C57の川渡が思い出される。その駅前はもうかなりのクルマがある。
古口は陸西唯一の交換可能駅。ふだんは静かなのだろうが今日はお祭りのようだ。
左側入線だと思い、危なくないところに三脚を立てているとJRの警備担当の方が来て、「そっちじゃないよ。」反対側に移ってみた
ものの構図がパッとせず断念、ホームに上がる。山の向こう側から汽笛が聞こえ、列車はすぐにやってきた。


 バック運転のバルブは記憶がない。機関車のお尻に凹凸がないうえに前照灯の照度が大きく、ちゃんと写るかどうか心配になる。な
ぜかバルブだとエキサイトしてしまうので冷静に秒数を計る。駅のそばはすぐ民家でヒキが取れず、アングルが固定されてしまうので
機関車だけでなく客車もねらう。信号機の赤が映えて美しい。
交換のディーゼルがやってきて発車時刻になった。長い汽笛を鳴らして駅を出て行く。現役時代の夜汽車を思わせる情景だ。
 天気にも恵まれ、収穫の多い一日だった。気持ちのうえで腹一杯になり、新庄から13号線を南下して帰る。


 その週末、もう一度行きたくなって出かける。関山、猿羽根の峠を越えて新庄盆地に下りて来た。今日も霧が出ている。C11+旧客
編成の撮影にはよくよく霧が出る。昨年の只見線もそうだったが。
升形−前波のトンネル手前には結構人が集まっている。斜め前から撮るのにはいいが、機関車がバックにもぐりそう。白煙ならいいが。
 また岩清水集落に行く。蒸機が走る、といってもポイントをはずせば誰もいない場所がある。鳥が鳴き、青空にはとんぼの重連。日
本の秋だ。田んぼのあぜ道でのんびり汽車を待つ。この時間の流れと平日の仕事とのギャップには笑ってしまう。だから月曜日はひど
いのだ。もうすぐ汽車が来る。はるかにサイドから「トーマス」のイメージで。煙はなくてもしょうがない。
   

 古口の停車中に追い抜いて前に出る。最上峡で国道が線路を越える「猪鼻跨線橋」にはずいぶんと人が集まっていた。それを横目に
庄内へ。立川町に入り、清川を過ぎて狩川駅に着いた。まだ通過時間まで30分以上あるので誰もいない。駅舎は古びているが風格があ
る。この路線、今では優等列車がなくなってしまったがかつては庄内と内陸、仙台を結ぶメインルートで一日3往復の急行列車が走って
いた。そのうち1往復は上野まで行く夜行の「出羽」。狩川も急行の停車駅だった。駅前に「快速列車の停車を実現しましょう。」と
いうスローガンが掲げられている。
 ホームに出てアングルを探す。太陽が雲に隠れる。神経質になる時間帯だ。10時半近くなってようやく雲間から顔を出した。あと15分
くらいは持ちそうだ。清川発車の汽笛が聞こえる。地元の人たちが集まってきた。
だんだんと汽笛が近づいてくる。秋の陽を浴びてすすきの中を軽やかに進んできた。
 狩川で撮影してから酒田へ向かう。途中、最上川橋梁付近にファンが散開していた。美しい橋だ。砂越で「見る鉄」。C11はすぐにやって来た。煙の香りを堪能する。庄内平野に響く汽笛。
酒田でフィルムと家族への土産を購入。通った児童館の跡を眺めたりして松山町へ。昼食後、余目へ向かう。
 バック運転は気にならないが、煙がないのには困る。駅の発車ならいくらか吐くだろう。構内の南側でやることにして待つ。雲が出て
しまい、ギラリにはなりそうにない。汽車が来るまでの間、特急「いなほ」やEF81の貨物列車が通り過ぎる。
前照灯が遠くに見え、汽車が駅に入ってきた。ホームにはたくさんの人が集まっているようだ。発車時刻となり、煙が立ちのぼる。
長声一発、汽車がゆっくり動き出した。


 47号線を新庄方向へ。最上川に沿って古口まで戻ってくると空が暗く、道路が濡れている。最後にロケハンしておいた前波付近でやる
ことにして田んぼ道で構える。陽が射さないとバックが林にもぐってしまう。もう移動する時間もなく、残念だがここで見送る。
逆向きで短い客車を牽く姿は現役そのものだ。こんな情景に出会うことができ、良かった。充実した2日間だった。
あとは13号線を南下して帰るだけ。懐かしいふるさとの蒸機を訪ねるこころの旅ももうすぐ終わる。

(「海なり」とは当時の小学校の文集の名前です。)


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