埠頭を渡る風−塩釜臨港の思い出


 「カメラを持つとたいがい港へ行くんだよね。」高校時代の先輩の言葉である。安易さを揶揄したのだと思う。その言葉がずっと気になっていたのだが、どうしても行っておきたい場所があった。
 臨港線には何か惹かれるものがある。旅客線と違ってオープンな場ではない。逆に線路が企業の中に入り込んで「秘密だぞ。」「絶対に見せないぞ。」的なところがある。知られざる世界なら見たくなる。しかも、港とくれば情趣あふれる場所でもある。
 誰もいなさそうな休日にそっとカメラを向けてみる。そこには何かありそうだ。
 それともう一つ。蒸機華やかなりし頃、炭鉱線に専用線が多数存在していた。そこには個性的な機関車がいて、一日何度か国鉄線に貨車の授受をするためにやってくる。自分の中でそのイメージが臨港線にラップしていた。
 一番身近にあったのが塩釜臨港だった。
 自分としては港へ行く汽車の雰囲気が好きなのであって、線路の所有者が国鉄であろうと企業であろうと臨海鉄道であろうとそんなことはどうでもよかった。
 当時は水産物の輸送はトラックに譲り、塩釜臨港でも魚市場へ行く路線は廃止になっていた。女川や宮古、八戸にも魚市場へ行く線路があったと記憶しているが、それらも相次いで姿を消していた。あとは別口で石油やコークス、飼料などを運ぶ路線しか残っていなかったのである。
 埠頭に立ってみる。石油会社のタンクが林立していてタンカーが横付けになっている。今は道路と海の間に壁があるが、その頃は何もなくて、秋口などによくハゼ釣りの人がのんびりと釣り糸を垂れていた。
 石油専用線は懐深く線路を延ばしていて運輸会社の協三製ロッド付きDLが忙しく行き来していた。積荷の有無で連結するときの音が違う。そんなことの楽しみもあったのである。


 秘密めいた場所、といっても柵があるわけでも何でもないから割と自由に撮影できた。枯草の中にぽつんと佇む転轍機のテコや塗装の剥げかかった標識など魅力的な撮影アイテムがいろいろ。
 会社の名前が入ったクレーンの下に留置され、動く気配のない無蓋車など、港の雰囲気を十分に醸し出している。
 ユーミンの「埠頭を渡る風」が塩釜臨港を訪れるきっかけとなったのかも知れない。ちょうど初冬の頃、イメージがぴったり。休日は一帯が閑散として、踏切を通る車も少ない。



 塩釜臨港に暗さはない。使われない線路や荷役の設備があるにしても現役時代のSLのように少しずつ追い込まれていく感じがないからだろう。「廃止が決まったならきれいさっぱりやめちゃうよ。」という潔さがある。
 可動橋は塩釜臨港の中で存在感を示すストラクチャー。
 撮影に訪れたときには既に使われなくなっていたが、現役当時の面影を残していた。運河のそばの詰所も線路もそのままになっていた。その姿にはみじめっぽさはなく、使命を終えた誇りに満ちていた。





 埠頭から港駅に向かって歩いてみる。何ヵ所かの踏切があって道路が倉庫群に入り込んでいる。貨車がさりげなく留置してある。使われなくなった倉庫が実は密輸組織のアジトになっていて、その組織を壊滅しようとする正義の味方とが倉庫や貨車の間を駆け巡りながら銃を撃ち合う、映画に出てきそうな雰囲気も少しだけある。
 すぐに岸壁に出た。深緑色をした初冬の海が足元に波を打ち寄せる。華々しく列車が行き交う幹線もいいが、埠頭を渡る風に吹かれながら散歩するのもいいな。
とある踏切から倉庫の向こうに船が望めた。ソーダ水の中を貨物船が通る、それは別の曲か。



 港駅は仙石線本塩釜駅の下にある。「駅の下」という言い方がぴったりで、それほど人の姿もない。時代の流れに取り残されたような場所だ。
 事務所で撮影の許可を得る。あっさりと「いいよ。」と言われる。「気をつけてね。」とは言われなかった。ここは列車など来ないから気をつけなくてもいい、という気持ちだったのか、所詮そんな所なんだよ、という気持ちがあったのか深読みしてしまう。
 天気もよくて気持ちよかった。何枚かスナップを楽しむ。ささやかなヤードが陽光に映える。



 ささやかに塩釜臨港が生きていた。長い歴史を持っていても、近い将来その姿を消すことになるのだろう。
そんな今の姿を記録できたのはうれしいことだ。決してスポットライトを浴びることのないレールだけれど、この地に密着して根をはやして生きてきた。そんな意気が感じられた。あとは「港の汽車」の雰囲気も。
構内の片隅に佇むDE10は、まさしく憧れていた炭鉱路線の社形機の残影でもあった。



(塩釜臨港は1990年、その役目を終えました。)    


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