《3日目 石北本線》


 夜行急行「大雪5号」から遠軽で下車。今日も晴れている。朝食と昼食を仕入れ、構内の下り出口へ向かう。朝に下りの貨物が1本あるのだ。
さすがに北海道は日中天気がよくても朝は涼しい。少し白煙も混じりそうだ。常紋に挑む機関車は力強い。朝日にサイドを輝かせて峠に向かって
出て行った。
 遠軽

 キハ22に揺られて常紋を目指す。それにしてもこの歩みの遅さには驚く。実は雪の季節に合わせてゆっくり走っているのだが、それは後になって
から知ったこと。もしエンジンが止まったら即停車してしまいそうな速度だ。長いトンネルを抜けるとそこが常紋信号場だった。
ホームはなく、踏み台のようなステップを使って下車。ディーゼルはスイッチバックして金華に下っていった。
 さすがにここはファンが多い。この時代には人気ナンバー1の撮影地。 周りを眺めてびっくりしたのは信号機が腕木式だったこと。「本線」と
いうからにはすべて色灯式だと思っていたのだが大きな間違いだった。さほど広くない構内の隅に信号場の建物がある。スイッチバックの折り返
し線が金華方向にレベルで配置されている。
全体の感じをつかんでから事務所で運行状況を聞く。昼間の1本が運休であることを除けばダイヤ通りとのこと。時間がたっぷりあるので建物の
近くの日陰で休憩。
 そのときの自分はまだ高校生で装備も貧弱だった。年長者の持つ「銀箱」がうらやましい。それに腰を掛けたり足を上げて仮眠している人もい
る。それをまねて両足を乗せて休んでいたら黒い小さなカメラバッグの上がへこんでしまった。それは今でも物入れになって部屋の片隅にあるが
へこみを見るとあの暑い常紋が思い出される。
 さて、しばらく待って上りがやってくる時間が近づいた。撮影場所はスイッチバックの折り返し線の土手の上。みんな思い思いに構え始める。
信号機の腕木も下りていて列車接近を知らせている。ただそこからがほかと違っていた。
 遠くからブラストが聞こえ出した。といってもみんなのんびりしている。カメラバッグに座っていたり話をしていたりと緊張感がない。こちら
はもうすぐ列車が顔を出すのでは、と気が気でないが、周囲からは「あと5分くらいだな。」という声が聞こえる。
今では磐西の更科あたりで待っていて、磐梯町発車直後からブラストや汽笛が聞こえてきてもそれを楽しむ余裕があるが、常紋で初めてそんな場
面に遭遇したのであった。
やっとのことで木々の上に黒煙が立ち上ってきた。

 常紋

 旅行後、常紋で大きなミスを犯していたのに気がついた。これは今日に至るまで教訓として生かされていることだし結局どこかで経験しておかな
ければならなかったことだからしょうがない。要は「機材に慣れる」という極めて単純な話である。
 上の写真、実は超アンダーなのだ。写真の加工技術で何とか見られるものになっているが、ネガは真っ白に近い。原因は露出不足に決まっている
のだが、そうなった理由はレンズを交換したときに露出計と連動させるピンをかみ合わせるのを忘れたのだ。理由はさらに深くて購入したばかりの
レンズをいきなり北海道へ持っていってしまったことである。本来であれば身近な撮影で体に慣れさせ、連動ピンをきっちり合わせるなど基本動作
をマスターしてから遠征に出かけるべきなのだ。そうせずに不慣れなレンズを本番でデビューさせてしまったためにミスをしてしまった。
 次の列車を撮影するときになって変だな、と思った。光量は大して変わらないのに露出が全然違う。これは何かあるな、と。
そんなことがあって冬にまた常紋にやってくることになるのだがそれはあとの話。
 夏の常紋はさすがに黒煙。
 常紋

 常紋、といえば急勾配だけでなくスイッチバックで有名。それならば信号場を出入りする光景も見てみたい。
貨物列車が入構してくる。機関車は人気がある北見のゾロメのナンバー。
ここのアングルは坂道を登ってくるところが中心で、構内を前進、退行する機関車にカメラを向けている人は少ない。こちらはがんばってカットを
かせぐ。

 常紋

 常紋

 撮影を終え、遠軽へ。それから名寄本線のディーゼルに乗る。「紋別・渚滑・名寄行」という3階建ての列車だったと思う。車両はもちろんキハ
22だ。疲れていつしか眠り込んだ。翌日の撮影地、天北峠も闇の中。深夜の名寄駅で睡魔を引きずったままホームに降り立つ。今宵は「駅ネ」だ。


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